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2005.10.21

長寿の邦おきなわの回復をめざして

「月刊自治研」10月号に掲載された原稿の原稿。

全体のテーマは「市民の健康・自治体の関わり方」ということで

沖縄らしい取り組みの紹介を!ということでした。

あまり自信ないけど、過去の先輩たちの実績を見ると、横のつながりを生かした

官民一体化した取り組み
というのも1つの切り口だろうと思って。

ただ、現在最も先進的な取り組みをしている市町村(佐敷町)については

間接的な情報をもとに紹介させていただきました。

今日の新聞でも、
「ちゃーシュガー健康づくりキャンペーン」の一環として

道行くドライバーに健康づくりのチラシとステッカーを配布し、

さらに交通ルール遵守を呼びかけた
という記事が載っています。さしゅが。



はじめに
観光客数が年間500万人を超え、琉球料理店などの沖縄関連店舗の「本土」進出が盛んになった現在でも、沖縄に対して抱くイメージはステレオタイプであることが多い。すなわち、「ヘルシーな食生活と少ないストレスで皆が健康長寿」などである。さすがに最近は英語ペラペラ?と言われることは少なくなったが。

その理由としては、1972年に本土復帰するまでは米国占領下に置かれ(その影響は今でも強く残っているが)、本土にとっては「遠い存在」であったことと、独自の文化と制度のもとに歩んできた沖縄の特殊性が挙げられる。

沖縄の衛生行政は、第2次世界大戦直後、極端な保健医療人材不足という状況からリスタートした。人材を有効に活用し、感染症対策では官民が一体化した島ぐるみの取り組みを展開して種々の問題を解決してきた。また、保健所は診断・治療機能をも有した公衆衛生の第一線機関として活動を続けてきた。

しかし現在の沖縄は、中高年層の生活習慣病の合併症による早世、障害を抱えた長寿者の増加、脂肪分が多い食事で肥満者の増加などの新たな問題を抱えている。

本稿では沖縄における昨今の衛生行政の一端を紹介するとともに、今後の課題について報告する。

沖縄衛生行政の変遷

占領下の体制について

沖縄における戦後の衛生行政は、昭和20年8月20日に米軍政府の諮問機関である諮詢委員会(住民代表会議選出15人で構成された初の公的機関)が設置されたところから始まる。当時戦禍にあってすべて破壊され、かつ住民の集団移動、戦時中の過労、栄養状態の悪さ、環境衛生の悪化等により住民の間にマラリア、日本脳炎、赤痢などが流行した。翌年4月に沖縄民政府が設立され公衆衛生部が発足し、米軍を主体とした環境衛生業務に重点が置かれた。昭和27年に琉球政府が創立すると保健所法が制定され、県内5ヶ所に保健所が公衆衛生の第一線機関として始動した。当時、米兵の間に性病が蔓延していたためその予防のために、米軍が保健所設置に力を入れた。そして、保健所の性病クリニックには毎日のように診断と治療が行われ、始業時間前から接客婦の患者さんが保健所に押しかけ収容しきれない人は所外の庭まではみ出して待っていたというエピソードもあった。

特徴的な疾患

保健所の業務も、本土復帰までは感染症対策が中心であった。性病以外の疾患としては、結核、マラリア、寄生虫等が公衆衛生上の課題として立ちはだかった。いずれも、医療資源が不足しているなかにあって、官民一体となって課題に対処してきた構図が伺える。

結核対策は昭和29年に結核予防対策暫定要綱が制定された。結核の健康診断や在宅患者の治療並びに療養指導が実施され、特に在宅患者の治療においては公衆衛生看護婦による訪問服薬支援が行われた。治療に関する費用は琉球政府が負担した。また、昭和37年からは患者やその関係者らの行動によって、県外療養所への患者送り出しも行われるようになった。

感染症対策の歴史は、地域の特色がさらに色濃くあらわれている。

八重山地方では戦中・終戦直後にかけてマラリアが流行したため、その根絶を目指して米軍406総合医学研究所の昆虫学博士ウィーラー博士を招いて、米国民政府(USCAR)のバックアップのもとでDDT屋内残留散布方式を用いた「ウィーラープラン」を実践し、流行を根絶した。

宮古地方では昭和36年の風土病総合調査にて、フィラリアの浸淫状況が平均25%以上となり、早急に防遏対策を講じる必要があるという状況であった。保健所内にフィラリア防圧課が設置され、島ぐるみで防圧事業が行われた。住民への周知を徹底し、夜間に行われた採血検査の受検率は、宮古地区全体で99.2%(65018人が受検)と非常に高率であった。

公看(公衆衛生看護婦)の存在

このような感染症対策において重要な役割を担ったのが、公衆衛生看護婦(公看)であった。公看は昭和26年より業務を開始し、その多くは市町村駐在公看として地域の保健医療の担い手として活躍した。結核対策では在宅治療患者の訪問をして服薬管理を行った。感染症対策では、衛生教育は普及啓発にも力を入れた。公看は、昭和47年本土復帰が実現し衛生行政にも本土法が適用され、名称が保健婦となって後も市町村に駐在し保健活動を続けた(平成9年まで)。

官民一体となった公衆衛生活動

八重山地方でのマラリア根絶計画と宮古地方でのフィラリア対策は琉球政府とUSCAR(米国民政府)が中心となって行われた風土病対策であったのに対して、その後行われた腸内寄生虫に対する「寄生虫ゼロ作戦」は民間団体が主軸となって展開されたマスキャンペーンとして知られている。沖縄県寄生虫予防協会がマスコミと連携して短期集中的にゼロ作戦を展開し、その成果も公表した。同協会の活動には、医師や技術者などがボランティアで関わり、関係機関、学校、市町村、婦人会なども協力して寄生虫撲滅の運動を拡大していった。もともと、横のつながりが強い沖縄の社会風土が運動を発展させたと言われている。


そして現在の沖縄の現状


26ショック

平成7年沖縄県は世界長寿地域宣言を発表して、長寿の邦「おきなわ」を広く世界にアピールした。これにより県内の健康関連産業も活性化し、観光や食品産業においても健康長寿をブランド化する動きが加速した。しかし、それから5年後の平成12年都道府県別生命表において、沖縄県男性の平均寿命順位が4位から26位へと大幅に下降してしまう。女性は1位をキープしているが、直近5年間の寿命の延びに関しては46位(男性は最下位)となり、このペースが続くと女性の順位も下がることが予想された。このニュースはマスコミ等で「26ショック」として報じられ、県民に大きな衝撃を与えた。また、高齢者に関しても、65歳時の平均余命は全国トップクラスで長いものの、そのうち障害期間(障害などのため介護を必要とする期間)も長いという結果で、健康長寿県とは言い難い実態が判明した。

肥満先進県沖縄とその背景

このような状態をきたした原因の一つとして、糖尿病や急性心筋梗塞、脳血管疾患などの生活習慣病とその合併症により、中高年層の死亡が増えていることが挙げられており、その基には肥満者の割合が全国に比して高いというデータが存在する。特にBMI(=Body Mass Index、体重kg÷(身長mの二乗))が30以上の高度肥満者が多いことが明らかになり、「肥満先進県」と呼ばれることもある。栄養食生活に関する各種調査では、摂取カロリーは他県なみだが脂肪の摂りすぎであること、魚より肉を好むこと、缶詰類など加工食品が多いこと、外食や飲酒の機会も多いなどの実態が浮き彫りになった。これらの県民の生活習慣は社会背景と密接に関わっていることも確かだ。戦後、食糧物資が極端に不足していた時代には、米軍基地内から缶詰類などの加工食品が一般の家庭に流入し、間もなく定着していった。また、飲食店が多くいわゆる夜型社会が定着していること、鉄軌道がないため車社会(ドアからドアへ)が浸透している社会環境が、肥満につながる生活習慣を招いていると言われる。

死亡広告に見る沖縄の健康状況

地縁血縁の横のつながりを重視する沖縄では、毎朝新聞を読むときに死亡広告欄には目を通す人が多い。その日に執り行われる告別式に関する情報を得ることができるからだ。友引の日以外は毎日見ることができる。その構成は、故人に関する情報(年齢、屋号、死亡の原因等)と告別式に関する情報、そして遺族に関する情報からなっている。死亡の原因については、「病気療養中」「急逝」「不慮の事故」「天寿を全うし・・・」などの表現がある。最近では急性心筋梗塞もよく見る死亡原因だ。遺族に関する情報では、喪主を筆頭に家族構成がわかるような形で列記されている。特に急性心筋梗塞などで壮年期に死亡した例などは、「妻」が喪主となり一家の大黒柱を失った家族の名前がその後に続く。また、青壮年期の死亡では両親が喪主のケースもあり、長寿を支えてきた高齢者たちを残して、若い世代が他界するという現在の沖縄の健康状況の縮図のような気がしてならない。

健康づくり運動の展開

疾病構造が感染症中心から生活習慣病へとシフトしてきた現在、再び官民一体となった公衆衛生活動が求められている。沖縄県南部の佐敷町では、高騰する医療費対策として役場を中心とした健康づくり運動が開始された。肥満、高血圧、糖尿病、高脂血症などで観察や指導が必要と判断された町民ひとりひとりをバックアップするための教室で約3ヶ月間の取り組みにより、血糖値やコレステロール値が下がるなどの効果が現われた。また、教室に参加せずに自宅で食事内容や体重をチェックするモニターについても同様に成果が見られた。町では健康づくり推進大会を開き、参加者が自らの体験を発表したり寸劇などを披露することで町民全体への運動の浸透を図るとともに、住民が主体的になって取り組む雰囲気を醸成している。沖縄県内ではこの佐敷町をモデルにして健康づくり運動を展開する自治体が増えてきている。

今後の課題

保健政策の推進

健康づくりを推進し、健康長寿の座へ復活を目指すため、当地でも健康増進計画に基づいて取り組む自治体が増えてきた。今後、いっそうこの動きを進めるためにはそれぞれの自治体で全庁的に健康問題を考える必要がある。沖縄県の健康ブランドの凋落が、観光をはじめ関連産業に影響を与えると言っても、今のところは保健分野のみの取り組みが中心である。関連する部局を巻き込んで全庁的に保健政策を推進する状況を作りだすことが望ましい。特に離島をはじめとする小規模町村においては自治体の基盤(足腰)が強くない状況にあるが、他町村とも足並みを揃えて保健所圏域を単位として調整していく必要がある。保健所と市町村との関係がまだ希薄ではないと言われている本県では、両者が連携して取り組むことが期待できるのではないか。

再び官民一体化した取り組みを

横の人間関係を重視する社会風土が根強く残っている沖縄においては、「イチャリバチョーデー(集えばみな兄弟の意)」という言葉があるように、それぞれが「郷土のため」という旗印のもとで連携して取り組める素地があると思われる。先人たちの功績を知ることで、今、目の前にある問題に対しても官民一体となった取り組みの重要性を認識できる(実際平成13年度からの麻疹ゼロプロジェクトも同様に推進されている)。
 保健所は地域の公衆衛生の拠点として、50年以上にわたって活動を続けてきた。古くは寄生虫や結核などの感染症から、現代の生活習慣病対策や環境衛生対策、そして健康危機管理などその課題は時代により変化してきている。しかし一貫して変わらないのは、住民の生活や健康に密着しているという姿勢であり、対策の実際は人と人とのつながりの中に実現することをこれまでの多くの事例は示している(平成14年『保健所の過去・現在・未来』沖縄県北部保健所より)。これからの保健所には地域の専門機関として企画調整機能が期待されているが、たとえ直接的なサービスからは遠ざかってもこの人と人とをつなぐ姿勢を貫くべきであろう。


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