雨宿り卓球部
- 1月は行く
- 2月は逃げる
- 3月は去る
- 4月は...
(5月はやはりGo!となるのでしょうか)
シリーズ「人生の転機」
中学校でもこの時期は部活を決める「育成会」とか
「決団式」とか行われるようです。
昭和53年4月、中学校に入学後、約1ヶ月は部活に入らず様子を見ていた。
一応少年野球出身だったので、そのうち野球部に入るだろうと思っていた。
友達と野球部の部活を見学に放課後運動場に出てみると突然のスコール。
野球はできないみたいだったので、体育館の玄関で雨宿り。
体育館の中では、体操部(女子だけ)、卓球部、柔道部が練習中。
雨はやみそうにないのでしょうがなく中を見ていたら、友達が
「卓球部見てくるか」と誘い、誘われるままへ中に入った。 見学だけという軽い気持ちだったのに、
そのまま仮入部の手続きが行われ 晴れて新入部員となった。
その後1年間は球拾い&素振り生活が続くが、徐々に練習でラリーも続く
ようになり、応援団を経て、3年生の時には試合にも出られるようになった。
中学校の先輩に誘われて、誘われるままに高校でも卓球部員となり、
それなりに成績を残して(団体戦でね)派遣を勝ち取ったりした。
大学に入ったら当時ネクラと酷評されていた卓球からテニスに乗り換えようと
一瞬考えたものの、学生寮で卓球部の先輩にコテンパンに打ち負かされて
誘われるままに、大学でも卓球部に入部。高校よりもきつい練習などに耐え
6年間続けることができた。最後は美酒も味わうことができました(団体戦でね)。
研修医を経て、最初の離島(小浜島)に赴任したとき(1992年)、日中は診療所で
過ごすものの、夜間は民放テレビもなく、青年会に誘われるまま、飲み会に顔
出したりする生活が続く。しかし、ある日公民館で古い卓球台を発見!
パートナーを探してたら、学校の先生で1人いらっしゃいました。
正直こんな場所で卓球できるとは思わなかったのでとても嬉しかった。
(しかし先生が転勤後はバドミントンに浮気)
次の島にも卓球の猛者がおり、島の卓球大会では負けて悔しい思いもした。
その後保健所卓球部を経て、1年間東京に研修に出してもらった。
慣れない研修生活であったが、お昼休みに地下のエレベータ前広場で
ボイラー室のおじちゃんたちや先生方が卓球をしているではないか!
すぐさまいっしょに練習に混ぜて頂き、本省卓球部と合同合宿する等
有意義な研修ライフを送ることができました。
あとは、南太平洋のFIJIで2週間だけ仕事したときも、昼休み
JICAの事務所にある卓球台で、職員の方とお手合わせしてもらった。
現地スタッフ(フィジィアン)といっしょにダブルスもできた^^ この時は
世界中どこに行っても必ず卓球ができるのではとさえ感じた。
ラリーを続けてると気持ちがどこかでつながってるような気になる。
最近ではラージボールという直径44ミリ球を使う競技ができたり
エントリーの仕方が合計130歳未満など、生涯スポーツとして定着
しつつあるみたいだ。いつはじめても遅すぎるということはありませんj。
後期高齢者になってからはじめた82才のおばあちゃんとダブルス
組んだこともあります。あなたも卓球はじめてみませんか?
継続することでだいぶ助けられた「雨宿り卓球部員」の話でした。
人生の天気(なんてね)

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