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2013.01.22

期待の若手シリーズでooyakeを紹介

74万アクセスありがとうございます。キリがいいのでooyakeを
公衆衛生情報という雑誌で記事にした今月号の原稿の一部を紹介(長いよ)。

タイトルが期待の若手シリーズ「私にも言わせて!」(第7回)



 沖縄県の保健所は戦後の米軍占領下において設置され、性病や結核の診断・治療を担う場として地域の公衆衛生の向上に寄与しました。そのような時代背景もあって、保健所には原則として複数の医師が配置されており、他県に比べて「保健所長以外の公衆衛生医師」として過ごす期間が長くなるという特徴があります。気がつけば、私もそのようなポストで15年間仕事をしてきました。この機会に、簡単にこれまでの活動を振り返り、ご紹介します。

 私は平成2年に自治医科大学を卒業し、出身県の沖縄県立中部病院で2年間の臨床研修を経た後、沖縄県内の2か所の離島診療所(小浜島座間味島)で各2年ずつ勤務しました。島で唯一の医者ということで、基本的には全科の患者を診ましたが、対応できない場合は親病院に紹介し、重症患者や急患についてはヘリで別の医療機関に搬送しました。

 研修医時代の病院に比べて時間的な余裕はあったものの、観光客も含めた時間外の患者にも対応しなければならないため、常に拘束された感覚をもちながら生活していました。公民館長から「島民全体の健康を守ってください」と言われましたが、日常の診療は1日10名前後の慢性疾患の外来が中心で、ふだん診療所には顔を見せない働き盛りの男性が突然脳梗塞で倒れて運びこまれるようなことがあると、診療所に座っているだけでは公民館長の期待に応えることは難しいと感じていました。

 そんななか、駐在している保健師と一緒に地域を訪問して、島民に対して健康教育などをしているうちに、患者として診療所を受診しているのは一部の有症状者で、地域には患者予備軍が数多く生活していることに気づきました。診療所の外に関心を寄せることで、徐々に公衆衛生に興味を抱き、保健所で働く先輩らを訪ねて話を聞くうちに、離島診療所の次の職場に保健所を選ぶ決心をしました。

 9年春から、沖縄県コザ保健所に勤務しました。臨床から公衆衛生の道に進むにあたり、家族や親類から「保健所に行って、何するの? 犬捕まえるの?」と言われたことに寂しさを覚えた記憶があります。当時の保健所は直接的なサービスが県から離れていた時期だったので、「昔はよかったよぉ、先生」と何度もベテラン保健師につぶやかれました。

 私は保健所3人目の医師として業務を引き継ぎましたが、それは「地域づくり型保健活動」の手法を通して、ヘルスプロモーションを展開するというものでした。その後勤めた保健所でも、健康日本21、健やか親子21、SARS対策、次世代育成支援、医療費適正化計画、国から次々と示される課題に市町村や関係機関が適応できるよう、支援や情報提供を行いました。

 国の動向が変化するなかで、どのように業務に取り組んでいけばいいのかと悩んだときは、同じく保健所で働く公衆衛生医師や全国各地で先駆的な公衆衛生活動を行っている方々の取り組みを参考にしました。「公衆衛生は人脈が命」と先輩に教えられましたが、正にそのとおりだと実感しています。

 18年秋には、当時私が勤めていた北部保健所管内で1例の輸入例をきっかけに、感染が拡大した麻しん患者12例に対応し、1000名以上の接触者に対して追跡調査を行うというアウトブレイクも経験しました。

 11年には、当時はまだ東京都にあった国立公衆衛生院で、1年間学ぶ貴重な機会に恵まれました。前半3か月は全国から集まった通称「保健所長コース」の仲間たちとともに学び、議論しました。4か月目以降は、保健師や技師などとチームを組んでの合同臨地訓練、自分の研究課題も教官の指導を受けながら取り組みました。国立公衆衛生院での学びは、公衆衛生の仕事をするうえで、とても意義深いものとなりました。

 19年からは3年間県庁の結核感染症対策班長として勤務しました。県庁では議会対応、予算確保などの慣れない事務も行いながら、新型インフルエンザ行動計画の改訂などを行い、九州・山口9県の感染症担当者と協力して対応ハンドブックを作成するなど、新型インフルエンザの準備に追われた2年間となりました。21年4月に新型インフルエンザ(H1N1)が発生し、担当班長として検疫への協力、医師会や米軍などの関係機関との調整、マスコミ対応に追われました。特に、医療対応については本県は全国に先駆けて流行が拡大したため、医師会や大学、県立病院などと調整して診療支援体制を確立しました。県内で小児の重症医療が可能なベッドの調整を毎日行ったり、土日や夜間の救急室に患者が殺到したので「うつさない。うつらない。(救急医療を)つぶさない」というメッセージをテレビCMやパンフレットで県民に発信もしました。超多忙な1年でしたが、「県庁の窓口が医師だったので、調整がスムーズに進んだと言われた」のが嬉しかったです。

 日常業務で関連情報や文献をインターネットで検索することが多く、同じテーマで検索を繰り返すことも少なくありません。そこで、自分が検索した履歴をどこかに残しておけば、効率がよくなるのではないかと考えて、ブログに書き留めておくことにしました(http://itokazu.cocolog-nifty.com/ooyake/)。

 公衆衛生ブログは「ooyake」というタイトルで、平成15年12月にスタートして以来、約9年間続いています(記事数は約1100件超)。最初は自分の情報整理のために始めたので、特に周知させようともしませんでしたが、ネット上で発見されて以来、ありがたいことに読者も増え、ブログを通じて、多くの公衆衛生関係者とも交流ができるようになりました。

 平日は約200名がサイトを訪れ、通算アクセス数も72万PVを超えました。これまでによく読まれた記事は「知ってた? 下痢と生理のメカニズム」「赤ちゃんがタバコを食べたらどうする?」「如才なきことながら」「小児結核の特徴」「多数出る遺体の処理に関する考え方(WHO)」などです。

 新型インフルエンザ対策にあたっている際の記事(多くは泣き言)をまとめた「blogで振り返る新型インフルエンザ」は、個人的にも気に入っています。日常の疑問について調べたことを書き留め、個人の意見を述べるという単純な内容ですが、あくまでも自分の業務に生かすために記録に残すというスタイルを守り、マイペースで書いているので、継続できているのだと思います。


若手という割には振り返りが多すぎる気もしますね^^;

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