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2013.01.14

八重山マラリア防遏のあゆみ

八重山に来て3年が過ぎようとしているが、危うくマラリア
対策の歴史も勉強せずに異動?するところだった。JICAの
研修生に講義した資料より抜粋


八重山にマラリアが侵入し広まった経緯
  • 1530年頃オランダからの難破船がたどり着き乗組員が病原体を持ち込んだ説
  • それをもともと生息していた媒介蚊が住民に伝播
  • 1737年頃には八重山全域に広がっていたという記録
  • 1609年琉球が薩摩に支配され先島地方には重い人頭税が課せられ、住民は開拓のために移民せざるをえなかった
  • 開拓に行った先がマラリア感染地域だった場合には廃村になることもあった

波照間島から西表島崎山に移住した住民が故郷を思って歌った歌が崎山節(演奏付き^^)

その後第2次世界大戦まではいわゆる地域に土着化したマラリア

  • 冬場は気温が下がるので媒介蚊は繁殖が止まる
  • 多くの住民は有病地域には近づかないが、一部は薪を取るために山に入り感染する
  • 流行の中心がマイルドな三日熱マラリア等であった可能性

年間の患者発生は約1000〜2000、死亡数は20〜30で推移した

Malaria_lecture_2012

しかし第2次世界大戦で、八重山上陸が近いと判断した日本軍が
住民に山岳地域への避難を命令。これが1945年6月。媒介蚊の
大量発生時期と重なり、治療薬も不足していたこともあって、
6月〜12月までの間に

  • 患者数16884(全人口の53%)
  • 死亡者が3647人(死亡率22%)
  • ちなみに八重山で空襲による死亡者は174人

という記録があるので、いかに被害が大きかったか...

戦後のマラリア対策としては

  • 米軍による治療薬の配布
  • 八重山保健所を中心とした地方政府体制の強化
    • 患者の治療や予防投薬
    • DDTを散布(ボウフラのいそうな場所に)
    • 薮の伐採、蚊帳使用を勧めるなど

以上の対策により患者数や死亡数は減少したものの、
1953年頃から再び増加傾向に

Malaria_lecture_2013

その理由は、沖縄本島で米軍基地建設のために土地を失った住民が
計画的あるいは自由に八重山に移民し入植。マラリア有病地に入り
開拓を進めた。その結果、マラリアに感染する人が増加。

マラリアが開拓の障害になった

USCARは昆虫博士のウィーラー博士を1957年に招聘。
博士のそれまでの防遏対策に関する評価
  • 保健所の防遏対策は十分ではない
  • 防遏に関わる職員は常勤にすべきだ
  • 薬剤散布に関する設備が不十分
  • スタッフや住民に対するさらなる教育が必要

米国政府は予算を確保してウィーラープランを支援

ターゲットをそれまでのボウフラからメス蚊成虫にかえて

残留型のDDTをあらゆる場所に散布した。
(全住宅、家畜小屋、倉庫、旅館、料亭、学校、留置所、バス、タクシー等)
また原虫対策としての採血、小児の脾臓検診を実施。
これらによってわずか3年間で感染者、死亡者をゼロを達成!


という防遏のあゆみを勉強しました

参考図書としては

を参考に作成しました。

今日的な課題については

  • 現在も媒介蚊が存在している
  • わが国の輸入マラリアは年間50例前後散発している
  • またエコツーリズム等で住民が気軽に山に入ったりする
  • 住民のマラリアに対する認識が低下している
  • 人々の交流も激しい

などがあり、研修生(アフリカ)からは
  • 現在も蚊がいるんだったら、薬剤散布を積極的に行うべきではないか?
  • 私たちも住民に蚊帳を配布したら、漁師が別の目的で使用した。どのように教育すべきか?
  • DDTを一斉に散布した場合に環境への影響については問題にならなかったのか?
  • ウィーラープランが成功した要因は何か?
などの質問があり、意見交換も盛んに行われました。

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